I'm シェリー。

好奇心旺盛なアメリカ駐在妻

今アメリカで起こっている人種差別抗議について。私が考えること。

今日は真面目です。(いつもです)

今、アメリカで起こっている黒人差別抗議について、大きく2つのことを書きました。

1つ目は、リアルな現状。いろんな角度から、いろんな情報を描きたいのは山々ですが、、、自分自身が学習中ってこともあり、浅いと思いますがお許しください。

2つ目は私が思うこと。ただの個人的な意見です。少し黒人差別問題と離れてしまう部分もあります。今はいろんな人が、いろんな意見を持ってるかと思います。どんな意見も尊重して、聞いて、そこから学ぶことが何かあるはず、、、という思いで書いてますので、読みたい方は読んで頂けると幸いです。

今、アメリカで起こっている人種差別抗議

5月25日、ミネソタ州ミネアポリスで、George Floyd(ジョージ・フロイド)さんが白人警察官に膝で首を押さえられ、死に至った件をきっかけに全米で抗議、暴動が起こっています。

この件についての詳しいことは、こちらのサイトが時系列で分かりやすいので、見てみてください。

www.businessinsider.jp

 

また、日本でどういう風にニュースが流れているか分からないけど、実際に暴動を起こしたり、強盗をしたりしている人たちは、抗議している人たちではないこともあります。暴力じゃなくピースフルに抗議しようとしている人たちもいる。フロイド氏が地面に押さえつけられていた時と同じ体勢をとる、歌ってダンスをしながらマーチングするなど、抗議の形は様々。一つの例として、下の記事を英語やけど載せておきます。

www.klcc.org

 

そして、6月2日火曜日の今日は、Black out Tuesday (ブラックアウトチューズデー)というストライキ(?)がアメリカの音楽業界を中心に行われています。インスタグラムを見ていても、多くのインフルエンサー、アーティスト、コメディアン、俳優たちなどが、この運動に賛同するとして、ただの真っ黒な画像と#blackouttuesday や#ShowMustBePaused のハッシュタグを投稿。今日は仕事やショーは中断して、じっくりこの問題について考える、学習するということのようで、いつもに比べ、インスタグラマーのストーリー更新率もかなり低い。今は、Listen, Educate myself. という言葉を多くの人が発していました(私のフォローしている人たちです)

 

それから、今回の抗議でよく目にする「I can't breathe」というスローガン。これは、フロイド氏が、警察官に押さえつけられている時に発した言葉。この言葉は、2014年にEric Ganer氏が、警察官に首を締め付けられて死に至った事件で、Garner氏が11回も連呼したと言われいて、同じことが繰り返されていることを強く印象付けてるって思います。

他にもBlack Lives Matter 「黒人の命は大切だ」(なんか直訳すると何かに欠ける、、、)や、No Peace, No Justice 「正義のないところに平和はない」などの言葉を掲げているのをよく目にします。

 

こちらは、亡くなったフロイド氏の兄弟のスピーチとトランスクリプト(英語)です。家族のリアルな声、発する言葉になにか感じるものがあると思います。 

www.rev.com

 

今日のSNSなどを見ていて、暴力で暴力には勝てない、暴動ではなく、もっといい方法を考えよう。選挙に投票に行こう。国を変えよう。そんな動きも見られると思いました。

今、自分が思うこと

正直言って、この話題は複雑、深刻、かつ繊細なだけに簡単な気持ちでは書きたくないと思っています。書くか書くまいか迷った挙句、書いてるんだけど。それから、自分の意見をSNS上に書くことはかなり勇気のいることだなぁと実感しています。ただの個人的なブログなのにそう感じるということは、著名人の方達は、大きなプレッシャーのなか色々と配信しているのかな。

 

さて、これから書く内容は、私一個人が感じていること、考えたこと。

先に述べたように、黒人差別の問題は簡単には書けません。情けなく悔しいことに、このことを綴るには、自分には、知識、教養が無さすぎる。黒人差別の長い歴史、過去、文化。現在の状況ですら、ほんのごくごく一部しか分からない。今回の件は、大きくニュースで取り上げられているけど、毎日、毎分、毎秒どこかで必ず、黒人差別や迫害は繰り返されてきたはず。

 

黒人奴隷の話は1700年代から、300年も昔からあって、学校で少なからず教えられたはずなんだけど、ほとんど記憶は抜け落ちてる。それだけ自分にとっては無関係と感じていたのかもれしれない。でもここ数日で考えさせられたのは、知らないでは許されない、無関心ではいけない、ということ。中立という立場は無いんですよね。小学校でも習ったもんね、イジメの傍観者はイジメてる側やでって。

調べたり、学んだり、聞いたり、考えたりして、その上で意見を持つことは、最低限必要なことだと思っています。もしかしたら、今私が考えていることは、数年後、数ヶ月後、数日後、もしくは数時間後には、変わってるかもしれない。違う情報や深い知識が増えて新しい考え方ができるかもしれない。けど、それでも『今』 考えてみることが大事なんじゃない〜って思ってます。これは今回の問題だけじゃなくて、すべてのことに言える気がする。

 

今回アメリカで大きな抗議となってる黒人差別問題。正直、黒人差別って言葉自体、日本では馴染みがあるんでしょうか?かなり薄い気がします私自身、アメリカに来て、初めて黒人差別について意識しました。また、黒人差別だけでなく、このコロナを機に、アジア人差別も身に染みて感じたんですよね。でも、馴染みが薄いからこそ、意識的に考えてみる、真剣に向き合ってみるっていうのが必要だな〜と思います。

実際、自分が「差別してないか?差別的な考え方をしてないか?」って聞かれると、正直答えは分かりません。いや、むしろ「している」になる気がする。

”もし日本で、黒人の方が横にいたら?外国人っぽい人が喋りかけてきたら?ホームレスっぽい人や、障害を抱える人がきたら?身近な人がセクマイ(性的少数者)だったら?”

正直に心に手を当てて考えてみて。上の例は、Wikipediaで「差別」と検索すると出てくる典型的な対象者を並べてみました。その人たちに対して、何も思わないかもしれない。進んで関わりたいと思うかもしれない。助けが必要なら助けたいと思うかもしれない。少し身構えてしまうかもしれない。なにか違和感を感じるかもしれない。。。こういう小さな心の中の変化(ポジティブでもネガティブでも)が、一つの差別の始まりかもしれないと知っておくべきなんじゃないかな〜と思う。別に自分が暴言、暴動を振るわなくても、何のアクションを取らなくとも、その無意識に心の中に生まれてくる ”なにか” に気づくこと。

シンプルに、同じ人種に対して、安心感を得るのは当たり前のことだと思うし(だって野生の動物もそうじゃない?)「普通」ってことに関して、居心地の良さを感じることが多くある。でも、その「普通」が、「普通」じゃないかもしれないこと。「普通」の定義が、生まれ育った文化に深く関連しているということ。自分の成長の過程で無意識に頭に、体に、心に刷り込まれていっているということを知っておくべきだな〜って思います。アメリカの黒人差別問題だって、長い黒人迫害の歴史の中で深く深く刻まれてきたもの。制度や法律だって白人のために作られていた。黒人奴隷が解放された後も差別の文化は続いたまま、今日まで変わらない。そう思うと、無意識や今私が感じてる”当たり前”は、いつか昔に作られた理不尽で不平等なものかもしれないなって思えてくる。

は〜、、、かなりごちゃごちゃな話題、文章になりました、すみません。

 

とにかく、私、には、今戦っている黒人の方々の本当の痛さや辛さはきっと1ミリもわかりません。分かると言う方が失礼かもしれない。でも、真剣に考えるってことはできますよね。勉強して、知ろうとすることはできる。

黒人も、白人も、他の有色人種も、、、お互いに尊敬しあえる日が来て欲しい、早く世界が一つになって欲しいと願うばかりです。綺麗事かもしれませんが、それが一番で、切実な思いです。

 

では、今日はこの辺で。See you soon!

 

 

あ、あとひとつ。

日本では、このコロナを機に、政府に興味を持ったり、考え方が変わったり、木村花さんの件に対しても色々考えさせられたり、、、いろんなことがあったんじゃないでしょうか。。。他にも日々の生活の中でとか、ニュースを見て色々とあると思うけど、ふ〜ん。へ〜。辛いね〜。で終わるんじゃなくて、どんな時も、もう一歩深く考るようになりたいな〜。


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