I'm シェリー。

好奇心旺盛なアメリカ駐在妻

教科書から深くは学ばなかった知るべき歴史。マンザナー日系人強制収容所

アメリカは外出禁止令の真っ只中、お勧めスポットの記事を書いても仕方がないか、、、とか思いつつ、、、今回は、アメリ(西海岸ならなおさら)に住んでおられる方ならぜひ訪れてほしい場所、マンザナー強制収容所の話です。個人的な感想を交えながら書いてます。

 *現在はコロナの影響で、一時クローズ中です。

マンザナー強制収容所とは

第二次世界大戦中、1941年に日本が真珠湾を攻撃した後、1942年、フランクリンルーズベルト大統領命令により日系アメリカ人が強制的に連れて行かれた収容所の一つ。収容所は全部で10個。そのうち大規模で、最もよく知られているのが、このマンザナー収容所。総計で11000人近くの人々が収容されたそうな。収容された人々の3分の2はアメリカで生まれたアメリカ市民権をもつ人たちだった。いわゆる日本人の親から生まれた二世という人々でしょうか。そして、残りの人々は、何十年もアメリカに住んでいるけど、日本人がゆえに、市民権獲得を拒否された人々。いわば、彼らは、私のような”純日本人でただ数年アメリカに住んでるの〜”ってなアメリカかぶれではなく、、、ほとんどが日本人の外観をしたアメリカ人だったんですね。日本の真珠湾攻撃により、反日思考、人種差別が悪化。日本人だから、日本人の顔をしてるから、という理由で、敵対視され差別された結果生まれたのが、このマンザナーだったのかな、、、。

 

現在のマンザナーには、ビジターセンターと慰霊塔、展示用の建物が残っている。展示されたものや写真からは彼らの生活を見ることはできるけど、実際の建物はなく跡地が残るのみ。敷地はかなり広くて、自分の車でツアーができるようになってる。また、ビジターセンターの中では、30分ごと(1時間毎やったかも)に、ショートムービーがやってるので、絶対見るのがオススメ。

 

過去の出来事とは裏腹に、綺麗で静かな光景が広がっていて、正直不思議な気持ち。

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マンザナーでのリアルライフ

大統領命令後、日系アメリカ人たちは、自分の住んでいた街、家をすぐに出ていかなければならかった。どこに連れていかれるのかも分からず、さらに持っていける荷物の量は、両手に持てるものだけ。そのほかのものは、捨てるか売るかしかなかったらしい。この時代に、持ち運びきれない日系アメリカ人たちの所持品を預かり、現在も貴重な歴史、彼らの思い出として、展示し続けているのが、シアトルにあるパナマホテル(前に記事を書いているので是非読んで見てください↓)。私の中で、何かが繋がった感じがしたな〜。

thesherryl0ve.hatenablog.com

 

マンザナーでの生活は、一言で言うと、プライバシーのプもない。女子トイレには、仕切りもないし、ただ便器が並んでいるだけ。割り当てられた小さな部屋は、赤の他人と一緒。

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女子トイレ

それから、この収容所は、山に囲まれたほぼ砂漠の中にあって、夏の気温は43℃、冬は氷点下だった。また風が強く、隙間だらけの家は、砂だらけになったと。ベットには藁のマット(マットなのか、これは)しかなく、寒さに凍えるしかなかった。他にも、聞いたり見ただけで、苦難を強いられた生活であったことが分かるような話ばかり。

1943年にはレジストレーションっていうにができて、宣誓に従わない人は別の隔離された収容所に送られた。この宣誓っていうのが、また過酷で、”母国を捨てて、アメリカに対する無条件の忠誠すを誓うか” みたいなこと。アメリカで市民権の獲得を拒否され、さらに日本を捨てることを強制され、、、彼らの居場所や、アイデンティティーを全て否定されていたように感じる。その頃って、日本も天皇信仰が強かっただろうから、母国を捨てるってかなり大きなことだったんじゃないか、、、と思う。でも逆に、アメリカが自分の国だと認識している人もいて、そういう人たちは宣誓に従って、収容所を出るってことになった人たちもいたみたい。

 

悲しい過去だけでなく、収容所の中でスポーツやダンスをしたり、庭園や家具を作ったり、新聞まで発行するなど、人々は明るく、強く、前向きに生きていたんだな〜と感じた。

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人々が住んでいた場所。ブロックで仕切られ、1つのブロックに200~400人、36ブロックあったそう。

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バスケットボールコート

 1945年には強制収容所は閉鎖。彼らは、$25の現金と、アメリカ国内の片道切符だけを渡されて出ていかなければならなかった。でも閉鎖後も、差別が消えるわけではなく、戻った地で辛い思いをしながら生活したり、そもそも帰る場所がなかった人もいたとのこと。1988年に当時の大統領が、”あれは間違いだった”と日系アメリカ人に謝罪、1人あたり2万ドルの賠償金を払ったそう。1969年から今まで毎年祭典も催されてるようで、今後も消えずに語られ続けるといいなと思いながらこの記事を書いてる、、、。

 

 

おわりに

純日本人の私と、強制収容された日系アメリカ人の立場は全く違うけど、日本とアメリカの歴史として、いろいろ考えさせられるものがあったな〜。彼らがいるから、今私たちが平和に暮らせるんやな〜と。忘れてはいけない過去、二度と繰り返したくない事実やな〜本当に。

 

マンザナー強制収容所って学校で習ったり教科書で読んだ覚えがあんまりなくて、アメリカに来るまで、このことは全く知らなかったな、、、恥かしい。そういえば、2019年のテレビ東京開局55周年企画で、マンザナー強制収容所を舞台にした「二つの祖国」っていう小栗旬さん主演ドラマをやってたみたい、見てみたいな〜!!機会があれば是非。

 

www.tv-tokyo.co.jp

www.nps.gov

 位置:Manzanar National Historic Site
5001 Highway 395
IndependenceCA 93526

 

情報は、ほとんど公式サイトから得ましたが、未熟な英語力で読んでますので、間違いもあるかと、、、お許しを。

 

では、この辺で!

See you soon! Thank you!!